COLUMN コラム
連載コラムVol.19 山の記憶を読む~第1話 90年前のトンネル~

実はこのお話、私が担当したトンネル設計業務がもとになっている。その成果は、論文として「Journal of MMIJ Vol.128」(2012.2)に発表した。
仕事としては、古い鉄道トンネルを道路トンネルとして再利用するための拡幅設計である。
論文には、調査方法や数値、分析結果、考察、結論が書かれている。しかし、論文には書ききれなかったこともある。それは、この仕事をしながら私が感じていた、「90年前にこの山で何が起こったのだろう?」という、素朴な疑問だった。
今回のコラムは、発表論文をもとに、コラム風にアレンジ、加筆して5話完結でお届けする。今月はその第1話である。
舞台は北海道北部の山の中である。
山の中に、一本の古いトンネルがある。今から90年ほど前、まだこの地域に石炭産業が息づいていた頃に建設された鉄道トンネルだ。
トンネルの全長は476メートル。幅4.4メートル、高さ4.7メートル。鉄道トンネルであるがゆえに、ずいぶんと細身のシェイプである。
当時は、石炭を運ぶための鉄道がこの山を貫いていた。もちろん、今のような大型の重機が何でもやってくれる時代ではない。木製の支保工を組み、矢板を入れながら、少しずつ山を掘り進んでいった。
そうして完成したトンネルを列車が走り、人や物資を運んだ。しかし、時代が変わった。石炭産業が終わりを迎え、鉄道もおよそ60年前にその役割を終えた。そして、トンネルも使われなくなった。
廃トンネルになった。
廃トンネルは静かである。
静かになったトンネルは、やがて自然と同化する。
照明もない。列車も来ない。人の声もない。
年月とともに坑内は傷み、崩れ、変形し、長い年月をかけて朽ちていく。
そしていつしか、このトンネルは地元ではちょっとした「心霊スポット」としても知られるようになっていた。
――まあ、そうなるのも無理はない。
真っ暗な山の中に、半世紀以上も人が入っていないトンネルが一本。しかも、その中がどうなっているのか、知る由もない。
「何か出そうだ」
そう思わせるには、十分すぎる舞台なのである。
さて、仕事の話に戻そう。
今から20年ほど前の話であるが、この古いトンネルを道路として再利用する計画が持ち上がった。ただし、現況トンネルは狭いため、そのまま使うことはできない。そこで、幅4.4mのトンネルを8.4mまで広げることになった。約2倍である。「倍に広げる」と聞けば、単純な工事のように思える。ところが、このトンネルには一つ、大きな問題があった。
この山はすでに掘られている。つまりバージンではないのである。ここが、新しくトンネルを掘る場合との大きな違いだった。
ここで、少しトンネルの専門用語を説明しておきたい。トンネルを掘ることを「掘削」、掘る対象となる山を「地山」と呼ぶ。
トンネルを掘削すると、地山に作用していた力が解放され再配分が起こり、周辺の岩盤に変化が起こる。力のかかり方が変わり、岩盤に亀裂が生じたり、もともとあった亀裂が開いたりする。場合によっては、岩盤の強度が低下する。つまり、トンネル周辺の地山に変化が起きるのである。
このような領域を、専門的にEDZ(Excavation Damaged Zone;掘削損傷領域)と呼ぶ。難しい言葉だが、トンネル掘削で発生した地山の「ゆるみ」とイメージしていただきたい。
このトンネルは、その「ゆるみ」がすでに存在している状態なのである。
しかも、およそ90年前のものだ。
問題は、その「ゆるみ」がどこまで広がっているのか。
そして、そのゆるみの中をもう一度掘削したら、地山はどう変化するのか。
私は、まずこのトンネルを調べることにした。
まずは現地調査でトンネルの中に入った。私にとって、これがこのトンネルとの最初の出会いだった。初めて坑内に足を踏み入れたときのことは、今でもよく覚えている。
入口から少し進むと、外の光は急速に遠ざかっていく。
そして、さらに奥へ進む。
足元を照らしながら歩いていると、やがて終点側に近いところで、思わず足が止まった。
トンネルが沈下している。
そして、水が溜まっている。
しかも、その水が驚くほど静かだった。
風もない。
波紋もない。
照明を当てると、水面が鏡のように光を返す。
暗闇の中に、突然、巨大な水鏡が現れたようだった。
まさに明鏡止水である。
その先に何があるのか分からない、廃トンネルの水溜まりである。
美しい。
けれど、怖い。
この二つの感覚が、同時にやってきた。
坑内の一部は、岩盤が崩れ、トンネルの形そのものが変形していた。壁が押し出され、天井が傷み、ところどころに崩落の跡が残っている。さらに困ったことに、というか、廃トンネルらしいというか、無数の蝙蝠が棲みついていた。
天井や壁の暗がりから、突然バサバサッと飛び立つ。
こちらは「状態を確認しよう」と真面目に調査に来ているのに、向こうからすれば「久しぶりに人間が来たぞ」というところだったのかもしれない。
正直に言えば、かなり気持ち悪かった。
いや、怖かった。
長い年月をかけて、人の手から離れたトンネル。
暗闇の中に残された古い木材。
崩れた岩盤。
水面に映るわずかな光。
そして、そこを住み家にした蝙蝠たち。
人間にとっては「廃墟」でも、彼らにとっては、もう立派な住まいなのだ。
かつて列車が走り、人が行き交った場所が、今では静寂と闇に包まれている。
その静けさは、どこか神秘的でもあった。
怖い。
でも、美しい。
廃トンネルには、そんな不思議な二面性があった。
ボーリングを行い、岩盤を採取する。
岩石の強度を測る。ひび割れの状態を見る。
そしてもう一つ、岩盤の中を伝わる弾性波速度を調べる。
弾性波は、岩盤の状態を映す鏡のようなものだ。固くしっかりした岩盤では、弾性波は比較的速く進む。ひび割れが多かったり、ゆるんでいたりすると、遅くなる。つまり、山の中を直接見ることができなくても、弾性波の速さを測れば、
「この辺りは元気そうだ」
「この辺りは少し傷んでいるらしい」
ということが分かる。いわば、地山に聴診器を当てるようなものだ。そして調査を進めていくと、ある一つの速度が気になり始めた。
「1.5km/s」
この数字を境に、岩盤の性質に違いが見えてきたのである。果たして、この「1.5km/s」は何を意味するのか。本当にここを境に、地山の「ゆるみ」が分かれているのか。
まだ、この時点では分からない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
およそ90年前の山の記憶を、私は少しずつ読み解き始めていた。
次回は、その「1.5km/s」という謎に迫ってみたい。
この記事を書いた人
専務取締役田村 智樹



