COLUMN コラム
連載コラムVol.3 1979

今回のタイトルは言わずと知れた弊社の設立年である.昨年創立45周年を迎えた。翌1980年に松田聖子がデビューした。だから今年は松田聖子デビュー45周年である。この年の夏に2ndシングル「青い珊瑚礁」がリリースされ、キャンペーンで長沼町のハイジ牧場に来た。
マオイの丘で抜けるような青空の下、特徴的なセミロングのふわふわヘアーをなびかせを歌った。高音域の母音をしゃくり上げる発声、真夏の青空を一直線に突き抜ける爽やかな歌声、抜群の声量、秀でた才能を感じた。但し、まだ知名度が低く観客のほとんどは羊。ステージ後方で豚の着ぐるみを着た現花畑牧場社長、当時は大学生の田中義剛が踊っている。私はアルバイトスタッフの高校生。懐かしい思い出である。隔世の感がある。
さて、時間を1979年に戻して、その時のアルバイトのお話をしよう。仕事の内容はTV番組の公開録画のスタッフである。時期は6月頃だったと記憶している。会場は小樽市民会館。ゲストは石野真子、太川陽介、アン・ルイス。当然ながらゲストとは身近に接することが出来てお得感がある仕事である。
ステージのセッティング、リハーサルなど終えて開場となり、私はPAのコントロールブースに座っていた。左斜め後方のエリアに石野真子親衛隊が陣取り、準備に余念のない状況であった。何か視線を感じて左斜め後方を見ると同じクラスO君が私を凝視していた。
O君は成績がトップクラス,勉強熱心でまじめな感じ。それが派手な法被をはおり鉢巻をまいてそこにいたのである。何と彼は石野真子の熱心なファンで親衛隊に所属していたのです。O君は含羞を浮かべていたが、私に詰め寄り、何故ここにいるのか理由を問い質してきた。私がアルバイトスタッフである旨を話すと、O君はさらに私を問い質した。
「お前、真子ちゃんと話をしたのかぁ⤴?」、「どのくらいの距離まで近づいたのよぉ⤴?」などと、まじめなO君が語尾の母音をしゃくり上げ、畳みかけるようにどうでもいい質問をしてきた。いや、ほとんど恫喝であった。
一応スタッフなのでゲストと話もするし握手なんかもするので、その様なことを回答した。するとO君の怒りは頂点に達したのであろう。次に瞬間、私を凄まじい形相で睨みつけ私の前から去っていった。ステージが始まるとO君は一心不乱に石野真子を応援していた。
翌日、学校で会うと何時ものまじめなO君であったが、私への視線は厳しかった。それから話しをすることもなく、もちろん卒業後も一度も会っていない。多分、私が石野真子と話をしたり握手をしたりしたことが許せなかったのだろう。男性の嫉妬は恐ろしい。
これは弊社が設立する5か月前と9か月後のお話です。その時、創業者の大久保と神田は何を考えていたのだろうか...
この記事を書いた人
専務取締役田村 智樹
